水の命と言うものは流れることにある、宗教の生命と言うのは社会大衆の中にしか生まれない。私は一人の修行者として一生をかけてすべきことは仏法を広げ、衆生に利益を与えることだと思う。その中に奉献することによって人生の真義を悟り結果を問わずただひたすら耕すことだけに没頭して自分の本分を尽くして行きたいと私は考えている。
昔私はこういう詩句を読んだことがある、「鉄甲将軍夜渡関、朝臣待漏五更寒、日出山寺僧未起、看来名利不如閑。」その時僧侶たちの俗世から離れた自由生活を憧れだと思った、後自分がお坊さんの一員として師匠の下で本格的な修行生活を始めると思ったことと違って耐えられないくらい厳しかった。出家修道というのは自分のことを考えず衆生を苦しい環境から救出することに励むことである。釈尊はこういわれた「衆生のためにわしが地獄に行かないならば誰が行くの、ただ入るだけでなく常に常住することが重要だ、更に常住ではなく地獄を荘厳にさせよう」。地蔵菩薩も同じことを言っている。「地獄にまだ一人の衆生が残るとするとわしが成仏せん、」禅宗二祖慧可禅師が雪に立ち腕を断って達磨祖師に命を失っても初心を無くさないと誓い、唐三蔵法師が仏典を中国に伝えるため九死に一生を得て東へ一歩退くことなく西に向かって進めと自分に言ったはずである、唐代律学名僧である鑑真和上が日本に仏法を含める優れた中国文化を伝えるため艱難困苦を乗り越え目が見えなくなっても初志を無くすことなく日本に上陸することが出来た、和上が日本に滞在した十年間仏教においては律宗を開いただけでなく天台宗や真言宗の基礎作りにも力を尽くしたと言う。また鑑真和上をはじめとする一行の来日は日本の美術、書道、彫塑、医学、漆器などさまざまな分野においても積極的な影響が多いのである。鑑真和上の来日は2000年にもわたる中日交流史の上で輝かしいページを開いたと言えるのである。
このような高僧大徳の崇高な情操と卓越した成就と言えば枚挙に暇がない。彼らのしたことはずっとわれわれの心の中に「真、善、美」と言う世界を作ることを励まし続けていくと思う。
人生は川の流れの如く、求道の旅は川に遡るように前に進まないと流されることになりかねない。衆生の中に身を投じて共に修行して共に成仏の道を探ると言うものは菩薩的な行為ではないだろうか。
ここまでペンを運んできたが胸に手を当て、私は社会に貢献できることは何だろうか。言葉でそれを表現するのが難しい。民国高僧、弘一大師が自分を二一老人と称し、これは古い詩句「一事無成人漸老、一銭不値何消説」の冒頭の二つの「一」を取ってできたあざなである。一代律学泰斗ですら自分のことをそう言っている、私は一人の凡夫としてどうなるのかが言うまでもない。私は弘一大師のなさったことが出来るかどうかはさておいてまず先人の足跡に沿って大衆と離れずともに前に進み、さっきにも書いたように結果を問わずにただひたすら耕すことに没頭していつか悟りの日が訪れると私は信じておる。これから現実に直面して一人前のお坊さんとして仏法を広げることを事業に 衆生に利益を与えることを自己の責任とし、頑張っていきたいと思う。